中学歴史
5分でわかる!大正デモクラシー
- ポイント
- ポイント
- ポイント
- 練習
- 練習
- 練習
この動画の要点まとめ
ポイント
藩閥政治をぶっつぶせ!大正デモクラシー
これでわかる!
ポイントの解説授業
民主主義の風潮「大正デモクラシー」
明治時代から大正時代にかけて、日本では 一部の藩出身者による藩閥政治を批判し、民主主義や自由主義を求める運動 がおこりました。
特に 大正時代 に広まったこの風潮を 大正デモクラシー といいます。
大正デモクラシーに関連して、重要な3つのできごとや考え方を紹介します。
こちらを見てください。
尾崎行雄らによる第一次護憲運動 桂太郎内閣が退陣に追い込まれた!
1つ目は 尾崎行雄 らによる 第一次護憲運動 です。
尾崎らは 憲法に基づく政治を守る ことをスローガンに掲げ、藩閥政治を批判する運動を行いました。
この運動の結果、当時の 桂太郎内閣は退陣に追い込まれました。
桂太郎は 長州 の出身です。
吉野作造が「民本主義」を提唱
2つ目は 吉野作造 という人物が唱えた 民本主義 という考え方です。
彼は 普通選挙 と 政党政治 によって 一般民衆の意思を政治に反映させるべきだ と主張したのです。
原敬内閣の成立 日本初の本格的な「政党内閣」
3つ目が 原敬 (はらたかし)内閣の成立です。
1918年に起きた 米騒動 の影響で、寺内正毅(てらうちまさたけ)内閣が総辞職します。
寺内正毅のあとに首相となったのが原敬です。
原敬は、当時衆議院で最も議員数が多かった 立憲政友会 という政党の総裁をつとめていました。
そして原敬内閣は、メンバーのほとんどが立憲政友会の党員で組織される、日本初の 本格的な政党内閣 だったのです。
原敬は藩閥とは縁のない盛岡藩(岩手県)の出身で、華族でもないという出自のために「平民宰相」と呼ばれました。
大正デモクラシーの考え方、そしてデモクラシーの考え方を実現するための動きをおさえておきましょう。
大正時代3のポイント1は、「大正デモクラシー」です。
大正時代の日本で高まった、 民主主義や自由主義の風潮 について学習します。