5分でわかる!原爆投下とポツダム宣言受諾
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この動画の要点まとめ
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東京大空襲と沖縄占領 敗北の足音が近づく...
1945年、アメリカ軍によって 東京大空襲 が行われました。
アメリカ軍は何度か空襲を行いましたが、特に1945年の 3月 に行われた空襲の被害は大きく、8万人以上が犠牲になりました。
同じ3月にはアメリカ軍が 沖縄に上陸 し、民間人を巻き込む激しい戦闘が行われました。
6月には アメリカ軍が沖縄を占領 したのです。
1945年7月、日本に対し「ポツダム宣言」が発表される
首都である東京を攻撃され、沖縄も占領される。
日本にとってかなり不利な状況です。
この状況で、連合国は ポツダム宣言 を発表し、日本に対して 無条件降伏 を求めます。
サイパン島をとられ、沖縄も占領され、空襲も受けた日本。
徹底的に不利な状況ですよね。
しかし、日本政府は、ポツダム宣言が「無条件」降伏であることに引っかかり、戦争を続ける姿勢を崩しませんでした。
国のトップである天皇がどのように扱われるかがわからないという理由で、宣言の受諾を渋ったのです。
広島・長崎に原爆投下 ソ連も中立条約を破り攻めてくる
ポツダム宣言を発表したものの、なかなか返事をしない日本に対し、連合国側、特に アメリカ がしびれをきらします。
1945年8月6日、アメリカ軍は 広島に原子爆弾を投下しました。
3日後の9日には 長崎 にも原爆を投下したのです。
こちらを見てください。
この写真の建物は、広島県にある「 原爆ドーム 」です。
原爆の被害を後世に伝える「負の世界遺産」として有名です。
広島に長崎と、アメリカはなぜ2発も原爆を投下したのでしょうか。
「戦争を早く終結させるため」という理由ももちろんありますが、他に「原子爆弾の威力を試すため」「戦後の世界をアメリカが中心に支配するという意思表示」などの理由も考えられるかもしれません。
8月8日には ソ連が中立条約を破って満州・樺太に攻め込んできました。
原爆の投下にソ連の参戦。
とても勝つ見込みがないと判断した日本は、ついにポツダム宣言を受け入れます。
8月15日、昭和天皇がラジオで、日本がポツダム宣言を受諾し、降伏を受け入れることを全国民に知らせました。
こうして、日本はついに降伏しました。
日本がポツダム宣言を受諾するまでの流れ、おさえておきましょう。
昭和時代5のポイント3は、「日本の敗戦」です。
広島と長崎に原爆が投下され、日本が降伏するまでの流れを学習します。