5分でわかる!貿易摩擦とバブル経済
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この動画の要点まとめ
ポイント
アメリカとの「貿易摩擦」
1980年代になると、日本とアメリカの「 貿易摩擦 」が表面化します。
ポイント1でも紹介しましたが、 日本の自動車は性能が良く、アメリカでも評判でした。
日本がアメリカに自動車や電化製品を輸出する一方、アメリカでは 自国の製品があまり売れず、貿易赤字が続きます。
このような状態を受け、「日本は儲けすぎだ!」とアメリカが文句をいったのです。
「プラザ合意」によって円高に
1985年、アメリカの呼びかけで会議が開かれ、 プラザ合意 が発表されます。
プラザ合意によって ドルの価値が下がり、円の価値が上がる ことになります。
円の価値が上がる、つまり 円高 の状態では、日本の製品の値段が海外では高くなるので、輸出してもあまり売れなくなります。
アメリカは 自国の経済を守るため、円の価値を上げ、ドルの価値を下げようとした のです。
プラザ合意→円高→バブル経済へ
円高によって、日本の輸出産業は大打撃を受けました。
日本は一時期不況となりますが、やがて景気を回復します。
しかも、ただ回復するだけではなく、 実際の実力以上にお金がたくさん集まる状態 になったのです。
こちらを見てください。
このグラフは、1985年から1990年までの 日経平均株価の推移 を表しています。
右肩上がりで、どんどん上昇し続けていますよね。
このように、経済が短期間で爆発的に発展していく状況のことを バブル 経済といいます。
バブル経済に突入した日本では、土地や株の値段が一気に上がり、経済が発展します。
しかし、バブル経済は長続きするものではなく、崩壊した時の反動も大きかったのです。
バブル経済の崩壊→「失われた20年」
1991年ごろから バブル経済は崩壊 し、日本は 長い不況の時代に入っていきます。
このときの不況を特に「平成不況」といいます。
1991年ごろから2011年ごろまで、日本では 経済が低迷する状態が続きました。
この期間を「失われた20年」ということもあります。
2011年には 東日本大震災 が発生し、大きな被害が発生しました。
「失われた20年」を過ぎても、日本の景気がすぐに良くなったわけではないのです。
1980年代以降の日本について、経済の状態に注目しながら、学んだ内容を整理しておきましょう。
昭和時代11のポイント2は、「バブル経済と失われた20年」です。
昭和から平成にかけての日本の歩みについて学習します。